著者・書籍情報
著者:岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ、京都在住。高校生の頃から哲学を志し、大学進学後は先生の自宅にたびたび押しかけて議論をふっかける。
京都大学大学院文化研究科博士課程満期退学。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。
他の著書として【嫌われる勇気】がある
書籍:【幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII】
発売日2016/2/25
あの「嫌われる勇気」で世界に新たな風を巻き起こしたアドラー心理学が再び舞い戻ってきた。
今度はより実践的に話を展開し、教育の現場から対人関係まで話が広がる。
どんな人にお勧めか?
「対人関係で不安を抱えている」
「子どもにはちゃんと成長して欲しい」
と考える人にはオススメとなっている。
アドラー心理学における人との関わり方は、少々読者の考えを肯定するような凡庸な言葉で話してはくれないだろうが、一見の価値は確かにある。
尊敬が無いのになぜ従うと思う
教育でも家族関係でもそうだが、他者に対して尊敬というものがない。
教師であれば子どもを独裁者の如く威圧的に扱い、両親になれば自分の理想を照らし合わせて引き算ばかりを好む。
こんな環境で生活していたは、子どもが先生や親に尊敬を持つことはありえないし正しく育つかも怪しい。
「嫌われる勇気」でも話されていたが、自分から与えられないのに他人から与えられると考えるのは傲慢だ。
アドラー心理学における尊敬とは、「他者」に迎合・依存する従来の尊敬ではなく、「その一個人をありのまま受け入れる」ことを尊敬と言うのだ。
つまり、相手が乱暴であろうとも卑屈な人間であろうとも、それを含めて尊敬する。
「そんなのは尊敬じゃない!」と考える人もいるでしょうが、しかしおよそ大半の人間は聖人君主にはなれない不完全体である。
個人が持つ様々な欠点に目をつぶって、いい所だけを抽出した尊敬を持ってしまうとどうなるだろう?
その欠点が露わになった瞬間に、その人物を激しく攻撃するのだ。
よくアイドルのファンが、逆にアンチになってしまうケースがあるが、正に狭い尊敬の例に使えるだろう。
本書では、他者はあなたの為に生きているわけではないし、あなたは他者の為に生きているわけではない事を再三教えてくれる。
自分の理想を他者に投影するのもおこがましいし、他人に自分の考えを押し付けるのもおこがましい。
スポンサーリンク
交友関係は対等でなければならない
教師によくあるパターンかもしれないが、例えば子どもが教室で漫画やスマホをいじっていたとしたら多分怒られるだろう。
怒りという安直なコミュニケーションで、子どもたちを屈服させて従わせようと考えるに違いない。
そして、そんなやり方に効果があると思えない。
「でも他の教師もしょっちゅう怒ってるよ」と考えただろう。
そもそも、考えてみて欲しい。四六時中怒っているなら、それは子どもたちに効果が無いことの表れだと。
本当に子どもが大人しく従っているなら、何度も怒る必要はないはずだ。
しかし、現実は全くの逆を行っている。
まぁ、それもそのはずである。
教師は子どもに尊敬を持たず、交友関係を育むことはない。
交友関係を作る事に不安を覚える人が多いのだろう。
そんな事をしたら「舐められる」と。
アドラー心理学における交友関係とは、心の上での対等である。
別にお友達になって一緒にゲームをする必要はない。
一人の子どもに対して、上から浅い人生経験を雄弁に語るのでなく同じ目線になって相手の考えに自分も思考を巡らせる。
それこそ、相手に興味を持っても接してやるのがいいだろう。
例えば、好きなアニメ・ゲームについて話したりしてもいい。
重要なのは、教師と言う者があたかも教室の独裁者であり、子どもはそれに抵抗するレジスタンスであるという関係を崩さなければいけないのだ。
スポンサーリンク
人と話せば結局は同じ内容になる
本書の中でも特に好きな話があり、それは「悪いあの人」「可哀そうなわたし」を話していることろだ。
つまるところ人は、どんな話をしていていも結局「○○が悪い」「○○で私は被害を受けた」といった「悪いあの人」「可哀そうなわたし」にしかならない。
確かにそうだ、疑う余地はない。私自身も実感があるのだからな。
そう言う話は聞き流すのが一番であると本の中で語られている。
それはなぜか?
例え、その話を聞いたところで本質的に解決はしないからだ。
そもそも解決しようとすら考えているのか怪しくなる。
悲劇に酔った自分を周りにアピールしたいだけでしかない。
重要なのはこれから「どうするか?」が重要であって、その人の編集された過去をいくら見せられようとも現在は何も変わらない。
「今、この瞬間にどうしたいのか」を話すことで、初めて物事が動き出す。
忘れてはいけない、自分から動かないのに他者が動いてくれると考えるのは傲慢だと。
本を読んだ感想
嫌われる勇気を読んだことある人なら復習になるような内容だった。
同じような事が改めた述べられていたが、今回は少々実用的にも感じる。
本書に登場する青年が教師としての立場に悩まされながら哲人の元を訪れるのは、前回と違った意味を持つ。
個人という枠組みから、他者という枠組みへ上手く切り替えることの出来ない、青年の悩みはまさに現代に生きる人が思う心の代弁と言える。
そして意外にも、嫌われる勇気の方が売れているようだが、明らかに本書とセットで一つの物語としても完結する。
一つの心理学としても面白いし、二人の人間の語り合いもあたかも世間とアドラーが共存するための試行錯誤を見ているようで、終始飽きることのないまさに名著だった。
終わりに
ここまで、見てくださり本当に有難うございます。 よろしければ、「読者登録」や「はてなスター」等を付けてくださると嬉しいです!